こんにちは、Joy Living Lab.石井です。
先日の話-「家庭の事情」とキャリア選択- の続きのようなそうでないような話です。
私いま大学院に通ってまして(ここはさらっと)、昨日ゼミでお話した女性との雑談にて。
その方、お子さんお二人とも手を離れていて、今回大学院入学に際してご自身も自宅を離れて大学近くに下宿して研究活動することにしたということでした。
つまり、母が単身赴任で研究活動する(仕事もしながら)。
すごい、素敵だなあっ希望もてるなあって感激してきいていました。
(アカツメクサと遠景の亀)
でもね、そういうことをひとに話すと、「そんなこと許されると思ってるの?!」と怒ってくるひとたちがいるそうです。けっこうたくさんの人にそういわれたそうです。
んー…ていうか、許されないと思ってるんだ!という衝撃ですよね。
私は又聞きにも関わらずけっこう衝撃をうけちゃって。
その女性はお子さんが手が離れているくらいの年代だから、世代の問題でもあるのかな?とも思いつつ、考えていました。
でも私たちくらいの世代(アラフォー)とかでも、そんな言い方する人たちっているなあ。
・・・ていうか、私自身もそうだったなあ。
何か、「これやりたい」と頭に浮かんだあとに「何か正当な理由がないと(たとえば子どものため!とか、給料を増やすため!とか)」と思ったり、「みんなが認めてくれるものじゃないと」「ほめられるものがないと」と思ったり。
でも冷静に考えれば、「許されないんじゃないか」って、
「えっ誰に?!(バッと振り返る)」て感じですけどね。
えーと、親に?(もう私けっこうな大人ですけど?)
家族?夫にかな?(相談してみないとわからないよね)
神様・・・?(無宗派だけどもね)
そうつきつめていくと、むしろ私が「こうしたい」と思えること自体がすごく貴重なことで、それを大切にしないなんてもったいない!それ以上に価値のあるものなんてあるだろうか?と、思われてきました。
小さなこと(たとえば今日はケーキを買って帰ろう、とか)から大きなこと(あとでどうなるかわからないけど大学院で研究したい、とか)まで。
私はほんの数年前に、「あ、私、許可を得ないといけないと思ってる!」(衝撃)ということに気づいて、今も、小さなことから大きなことまで、やりたいようにやる、の練習中です。
そうそう、練習が必要なのよね。
そんなこと、子どものころにとっくにクリアしている人もいるんだろうな。そういう人からしたら、何をまだやってるの、てところでしょうけれども。
逆に、死ぬまで誰かに認められるためのことをする、世間様のためにはたらく、といった人たちもいるのでしょうね。きっと少なくなっていくと思うけれど。
(いや社会のために、誰かのために働くことは尊いと思っているんだけども、自分と一致しているか、て話。)
(遠景だった亀)
人の気持ちがわかってしまい、期待にこたえてしまう性質を多少なりとももったひとは、少なからずそういう体験をしているのじゃないかな?と思います。
従順さを鍛えられてきた半生から、もう一度自分の意思を取り戻していくのってなかなか一朝一夕にはいかないですけれど。
そこに時間と手間暇をかけるに値するものがあるな、と感じています。
そんなこと許されると思ってるの!?
うん、何をしても、許されるんだよー!
(自分とひとさまに誠実でいるかぎりはね!)
そんなかんじです。
Joy Living Lab.石井
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