こんにちは。Joy Living Lab.の石井です。
キャリア講座の終わった午後に、これまたオンラインで主催イベントをしました。
「プリズン・サークル」を観て語る会@zoomです。
facebook投稿で「この映画を観て語る会をしたいな」と呟いたら、参加したいといってくれた方々で日程を調整し、実施しました。
第一弾としては先日、宇都宮ヒカリ座で観賞後すぐにリアルな語る会を3名で実施しており、今回は第二弾として10名で話し合いました。
児童福祉に関わる方、親子の哲学カフェを開いている方、幼児教育に関わる方、映画大好きの方、心理学的アプローチに興味のある方、子どもの凶悪犯罪に関心が高い方、などなど、それぞれの関心を持ち寄っての参加でした。
会の進行は、
・まずスタートに主催の私からなぜこの会を開いたか話し、
・続いてみなさん一人一人に自己紹介と観た理由・参加の理由を話してもらい、
・それからグループに別れて感想を自由に話し、
・全員に戻ってフリートーク
の流れで行いました。
●会を開いた理由
私がこの会を開いたのは、まずこの映画は絶対に見る!と1月くらいから決めていて。
そしてただ見るだけでは消化不良になるでしょうし、こういったテーマで誰かと語り合いたいと思ったからでした。
背景としてこれまでボランティアで延べ5年以上、働く母たちの語り合う場を作ってきており、近しい背景を持つ人たちが「語り合う」ことで生まれる回復やエンパワーを観てきました。
もっと原体験としては、学生時代に「べてるの家」という精神障害を持つ人たちのコミュニティに長期入らせてもらい、「語り合う場の持つ力」のすごさを目の当たりにしていて。
「対話」の力をかれこれ15年以上盲信しているようなところがあります。
それなので、この映画で扱われている「TC(therapeutic communityー回復共同体)」においてもきっとそのような回復が現れるのだろう、と期待して観に行きました。
パンフレット
●会で話されたこと
会の中では様々な感想が語られました。
映画を観てから虐待やいじめのシーンのフラッシュバックが何度も起こってしまい、辛くて参加できるか不安だったといった声もありました。
一方で、終始客観的に見ることができて、社会の課題ー「迷惑をかけないことが良いとされていることとか」ーについて感じるところがあった、といった方も。
印象的だった話をいくつか紹介すると・・
・当事者たちを自分ごとのように感じてしまった。自分は運よく一般人としてここにいる
・自分の気持ちを知ること、気持ちを表現できる経験が子どもの時から必要
・読書、演劇、映画といった芸術が気持ちを知ること、想像・創造の力を育むのでは
・自己表現や主体性を引き出すような働きかけが社会の中に存在しない問題
・普通に暮らしてる大人たちでも「自分の気持ち」がわからない人はたくさんいる
・罪と罰とは・・罰には即効性はあるが長期的にみて効果ないのでは
・TCプログラムを広げるのはコスト的・人員的なハードルが高そう
・TCを経て社会に戻った彼らを受け入れる準備が私たちにあるか
などなど、、
多岐にわたる話題が出ました。
●映画の感想
私個人の感想として、とても語りつくせないのですが、、二つ書きます。
・男女の非対称性
この映画は男子刑務所が舞台であり、登場人物はほとんどが男性。(TCプログラムの支援者として女性が出て来る)
一方で、映画の最後に「虐待の連鎖を止めたいすべての人へ」(←うろ覚えですが)というメッセージの後、エンドロールが出てくると監督はじめ、この映画の支援者名を見るとほとんどが女性のように感じられました。
そしてちょっと調べたら、刑法犯で検挙される人の8割が男性、入居受刑者の9割が男性、らしいです。(犯罪白書より)
これって、なんなのだろう、、と。
この映画の中で語られるように、幼少期の被虐待経験やいじめ被害など、被害者になったことで加害行為に繋がるというのはあるのだろうけれど、、(もちろん被虐待の経験者が皆加害するわけではない)
きっと被害経験でいうと女性も同じくらい受けているのではないか。
それでも刑法を犯すのは圧倒的に男性なのですね。
男性ホルモンは攻撃性が高いといった話を聞くこともありますが、男性への「弱みを見せてはいけない」「『男らしく』しなければ」といった抑圧もあるのかも、、。
(虐待を受けた女性たちの生きる道もまた困難が多いと考えつつ、、)
心理職も含めケアを担う職業は女性が多い業界ですが、この映画の成り立ちにおいても、男性たちの加害性をいかに更生しうるか女性たちが主体となって取り組んでいる、という構造が現れているように感じられました。
男社会で生じた男たちの問題のケアをここでも女たちがしているのか?などと感じたのでした。
(これについてはまだまだ語りたいですが今回はこの辺で)
・感情を知ることの難しさ
私はキャリアカウンセラーとしていろんな社会人にお話を伺う中で、「自分がどうしたいかわからない」という人に時々出会います。
この映画の中でも「自分の感情を感じられない」といった言葉が何度か聞かれました。
そして「その気持ちを感じても大丈夫にならないと、感じられないもの」という話もありました。
あまりに辛い気持ちは抱えきれないから・・安全だと思える場所じゃないと出せないから。
度合いは違うかもしれないけれど、私たちの生きている社会は、よほど気をつけないと感情をだすことに危険が伴う環境なのですよね。
特にネガティブな感情(寂しさ、不安、不満、悔しさなど)ほど、「めんどくさい」ものであり、ケアするのに時間がかかるものだから、引っ込めとけ!と言われてしまいがちなのかもしれません。
効率性、速さ、手軽さを優先する社会では、感情を受け入れ、味わって自然にその次に進むといったプロセスを踏む余裕がないのかも。感情をどう扱うか、私たちはまだよく知らないのかも。
(私も、出がけに子どもからこれじゃやだーとか粘られるとすごいイラついてしまったりします。。)
でも人間として接する、ていうのはその人のめんどくさい感情を尊重する、ていうことなんだよな・・・
この映画に出て来る主人公たちは、人間としてというよりも機能や部品のように扱われてきた期間の長い人たちのように感じられて、、辛かったです。
すべての子どもたちが、安心安全な環境で育てることを願ってやみません。
●まとめ
この映画を観て色々と感じることが多く、課題も多く大きくて、私がすぐに何ができるとも思われずに無力感に苛まれます。
けれども、まずはそういう自分の気持ちを受け止めるための会を開けたこと、そこに参加してくれる人たちといろんな思いを分かち合えたこと、
そしてそのような場がいろんな文脈でたくさん必要だよねと共感できたこと、
そんなことに感謝して、会を閉じました。
素晴らしい映画を撮ってくださった坂上監督はじめスタッフの皆さんありがとうございました。
書き残しておきたいことがたくさんあり、まとまらず長文になってしまいましたが、読んでくださりありがとうございました。
そんな感じです。
Joy Living Lab.石井