懐かしんでセンチメンタルになった日記です。
ふいに、ジュディマリを聞くことになって。
懐かしすぎて号泣してしまった。笑
Photo by Adrian Ordonez on Unsplash
中高生のときに大好きで、高校生になったとき、バンドを組みたい!とクラスの女の子3人を誘ってバンドを組んで、ジュディマリの曲で文化祭で発表したんだった。
兄のエレキギターや機材を借りて。
楽譜を買って、メンバーでコピーして。
スタジオを借りて、自転車に二人乗りしていって、練習して。
ジュディマリ以外にも、いくつか。
ボーカルやってくれた子が小柄で色が白くてすごくかわいい女の子だった。
育ちがよくて、でも自己主張がちゃんとできて、うらやましいなと思ってた。
もう一人のギターの子は明るくていつも笑ってノリがよくって。そんな風に大きい声で笑ったり話したりできたら、素敵だなあって思ってた。
ベースの子は、落ち着いていろんな話ができる、安心できる人で。何か思ったことがあったときには一番に相談してた。
本音では、私はボーカルやりたかったのだ。
だけど私は見た目も地味だし、声もそんなに出ないのであってないと思ってた。
ボーカルやってくれてた子は、自分がボーカルじゃなくてもいい、ドラムもやりたいし、と言ってくれていて。
ボーカルやりたい、て言えばよかったんだよね。
練習曲でだけ、ボーカルやっていた。それでもすぐに声が枯れちゃうし通らないから、やっぱり向いていない、て思って。
そして自分がバンドの顔になること、目立つポジションに立つことへの怖さが勝りすぎて。
バンド名どうする?てなかなかまとまらなくて、次の曲どうする?オアシスのコピーをしよう、耳コピーしよう、て話から、いやそこまではできないかも、ていうか私、テニス部に入って運動したい、など、ごにょごにょいって、その文化祭でバンドは解散しちゃったの。
それから、元バンド仲間で集まることはほとんどなくなり、疎遠になってしまった。
高校生活が進んで、だんだんグループとかできていくと、全然違うタイプの4人だったことが後になってわかる。
でも、だからこそあのバンドは奇跡だったな。
自分と違う人たちの輝きを目の当たりにして、刺激をうけたり一緒に何かを作る、て、すごいことだったな。
ほんの短い期間だったけれど。
あの時の私には、あのバンドを続ける度量がなかった。
だけど、自分が何をやりたいのか、どんな風にやりたいのか、伝えられていたら、メンバーはきっと受け入れてくれていただろうな。
そしたらもっともっといろんな曲を一緒にやれていたんだろうか。
みんな、元気かな。
そんなかんじ。