こんにちは、石井です。
今日はちょっとおもうところあって、私自身を振り返るひとりごとを書きます。
ケージ(cage)は、かごとか箱とか檻、てことなんですが。
だいぶ壊して、過去のものになってきたと思っていたけれど、まだちょっと残っていたよ、て話。
はじまりは子どもの頃、私をまもるために両親が作ってくれたもの。
それを学校で補強されたり、そのうち自分で補強できるようになったりしていきました。
ケージのパワーは小学校高学年〜高校生までが最も強烈で 、
クラスでの立ち居ふるまいにも威力を発揮していた。
小学校5・6年生では、まあまあの「グループ」に属していて。
中学生のときは、クラスでは男子としゃべっているほうが楽だったし楽しかった(部活は別格)。
高校生になって男子とつるめなくなり(会話がいちいち「特別な意味」をもってきて面倒)、クラスのヒエラルキーでのグループにどっぷりしすぎない立ち位置に腐心した。
優等生の位置におかれやすく、先生に学級委員長やってくれない?と言われるタイプだった(やったことはない。小学生の頃、推薦されて生徒会長に立候補するはめになり全校生徒の前でおふざけで演説して場を白けさせたことがある。。)。
そういう自分をつくることでなにかを守ってきた。えーと、たとえば、体面とか?内申点とかw?
大学受験が終わり、いかに私がケージから自由になるかをようやく生活のメインテーマにすることができるようになった。
でも急にそこから出るのは難しく、自分で飛ぶ力を養ってこなかったツケを長いこと払い続けた。
飛ぶ練習をしているさなかに、パートナーに出会い子どもたちが生まれてきてくれて、つい「期待される仕事」を頑張ろうとする私の出鼻をくじき、気づかせてくれた。
もともとの私はたぶん無礼で付き合いが悪く、ひとりでふいっと好きなところに行ってしまいたいタイプで、
子どものころからスナフキンが憧れの人なのだった。
そのうち、ケージにとらわれているのは私だけじゃないと気が付いて、
それをよく知りたくて社会学、家族心理やキャリアの勉強をしてみたり。
ケージとお金の関係も知りたくて会社でも学んだり。
ケージから出るのに苦労したのは、ずっと私の主体性が未熟だったからかもしれない。
主体性を発揮させられない≒意見を聞かれない環境だったからかもしれない。
育った環境のせいにする自分を許そう。
35を超えてようやく、私がどうしたいのか、思い出している。
みんなも自由になろうよ、て呼びかけようとしている。
ケージのさいごの名残をそらに返して、
名前のとおり、自由に生きる。
そんなかんじです。
由貴
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